| □ 美瑛町のアイヌ語地名について |
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美瑛町のアイヌ語の地名は広大な面積にしては意外と少なく感じる。山名にアイヌ語が冠されているの多いのは美瑛も他の地域と同様ですが、元々アイヌの人達は生活と関連の深い山以外には名前は付けなかったので、現在の山名がどのような経過で命名されたのかははっきりしない。また美瑛川の流域に残されたアイヌ語地名が少ないのはアイヌの人達にとって主な生活の場では無かったとも言えるかもしれません。 |
| □ 美瑛川 ビエイ ピイェ Piye |
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美瑛川はナイもベツも付けずにただ『ピイエ』と呼んでいたという。ピイエは『脂ぎった』という意味が有ると云うが永田氏の地名解で『水源ニ硫黄山アリ、水濁リ脂ノゴトシ』とある。(此処で云う硫黄山は十勝岳の事か?)ピエペツとなるとピエ(鳥及び脂肪に用いる)とペツ(河)で脂の河となるが美瑛川を見た限りでは青みは有るが透明感は有り濁っている感じは全くない。ブルーの水色を脂と解釈したとも考えられるが、むしろ石の川と言う方が合っている様に見えるが、当時は本当に濁っていたのかも。 |
| □ 美瑛 美瑛岳 |
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美瑛の由来は先に書いたとおりだが、明治32年に鉄道が開通しそれまで仮名書きの『ビエイ』と呼ばれていた地名を『美瑛』し現在に至っている。山名も、ビエ岳から美瑛岳になり、川の水源にある山につけられたが美瑛川の実際の水源は三川台付近で実際とは異なっているが、安政年間の探検家の記録では水源は焼山とビエ岳の間という様に書かれているのが |
| □ 辺別川 ベベツ岳 ベベツ
Pe-pet |
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ベベツとは、アイヌ語で『水・川』水量多く、流れの速い川と言うことだ。確かに水の流れは速く年間を通して水量は多いようです。そのためか上流まで砂防ダムが築かれて悲惨な川になっている。辺別岳はベベツ川の水源にある山に付けられた名前だが、ベベツ川の水源はトムラウシ山塊の三川台付近で、現在のベベツ岳とは異なる。元々オプタテシケ山、ベベツ岳、石垣山を総称して『オプタテシケ』と呼ばれていた。 |
| □ 横牛 ヨコウシ ヨコウシ Yo'ko-ush-i |
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北美瑛駅と朗根内との中間付近の地名です。『ねらい打ちし・付けている・所』と云うことで、何時もそこで鹿を狙い打った所でいわゆる狩り場だったのでしょう。具体的には此処でと言うほど正確には言えませんがこの付近でと言う程度に |
| □ 朗根内 ロウネナイ ラウネナイ Ra'une-nai |
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ラウネは深い、ナイは川または沢の意味で同名の川はたくさんありますが、川の水深が深いのか、川が深く切れ込んでいるのかはっきりしない所が多いようです。ただ川の両岸は高い土地が多いので、高い位置にある川岸から見て低いところを流れている川を『ラウネナイ』と呼んだのかもしれませんね。 |
| □ 俵真布 タワラマップ Taor-oma-p? |
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アイヌ語の正確な名前が解りませんが古い美瑛の地図には載っているかもしれません。マップと言う事からアイヌ語由来で有ることは確かです。林の中の川なのか、川岸の高い川なのかはっきりしないが、支流名から考えると林の中の川、地形からすると高い川岸になるが、これが一番有っていそうな気がします。 |
| □ 宇莫別 ウマクベツ ウバクベツ U-pak-pet |
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『相匹敵する川』辺別川から見て併流する同程度の川の意味でしょう。辺別川に比べてやや小さいが奥は深い川です。宇莫別川に沿い広がっている地域を今は沢の村と称している。美瑛の観光ルートから外れていることもあって、静かな旅を楽しめる。 |
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□ 置杵牛 オキキネウシ オシキナウシ
O-sikina-ush-i |
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美瑛の紀行文には良くでで来る地名ですが『川尻にガマ群生する所』という意味。今はガマの群生する光景など殆ど見られる様なところはなくなりました。置杵牛でガマを見たこともないけど当時は川口にガマが群生する湿原になっていたのでしょう。 |
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