下川町を巡る旅 下川産業遺産とアイヌ語地名


□ 下川町の産業遺跡
□ 三井サンル鉱山跡(珊瑠鉱業所)

 下川町市街から雄武方面に向かうとサンル牧場の標識をすぎてまもなくサンル牧場が左手に見える。サンル12線を左折して次の二股を右折する。この林道を約3kmほど進むとゲートがある。この付近が珊瑠鉱業所跡で大正6年に開鉱、昭和10年最大日産200トン処理体制となり昭和18年には最大金310kg生産した。金山整備令で休山し昭和40年に再開したが40年代に閉山。現在も水力発電所、坑道、流下式選鉱場、3沈殿池が山中に残っているという。

□ 三菱鉱業下川鉱山

 下川町の下川ペンケ川沿いに新下川と云う地名が有るが、此処は昭和57年まで500人以上が住んでいた下川鉱山跡である。下川鉱山は昭和8年に地元の浅沼関市氏がパンケ落合沢で転石を発見したことに始まり、戦後は日本3位の銅山とまでなり昭和42年最盛期には705人の人員を抱え、新下川と呼ばれた社宅街に628世帯、2485人が住む鉱山街は下川市街をしのぐ繁栄だったという。そのご銅貿易の自由化による価低迷、公害対策、深部採鉱によるコストアップで経営が悪化し昭和57年に閉山した。閉山から15年ほどは全ての施設が残っていたが、今は廃液処理施設と学校施設が残っているだけ

□ 下川町の森林鉄道

 奥名寄森林鉄道は当時の国鉄名寄本線、帝室林野局札幌支局によって昭和3(1928)年9月に着工、昭和6(1931)年に完成した森林鉄道で、一の橋駅近の貯木場から、名寄川を遡っていた最大で21170mの路線である。他に然別線かじか沢線、茂珊瑠線、作業軌道・上御車澤線が有ったという。現地にはその痕跡は殆ど残されていないが、当時の資料はふるさと交流館に有ります。

□ ドングリの森のミズナラ

 下川町渓和の国有林、由仁内ふれあいの森(岩見の沢川左岸の尾根上)にある「ミズナラの巨木群」の一本で樹高27m 幹周610cm 胸高直径194cm で同じようなミズナラが何本か有る。ふれ合いの森には歩道整されてはいるがアプローチにはそれなりの装備が必要。

□ 渓和いこいの森イチイ

 下川町渓和いこいの森線に立っている下川町有林内で最も太いイチイの木で樹高15m,幹周290cm,樹齢約400年,車からも見ることができるが遊歩道もありアプローチはは比較的容易で気軽に木と触れ合うことができる。

□ 上名寄カツラと湧水

 上名寄15線の湧水の谷に立つカツラの大径木で樹高27m幹周255cm胸高直径81cmで他にもカツラの大径木は数本存在している。その大木に囲まれたすり鉢状になった谷底に湧水地がある。下川町農村活性化センター「おうる」から国道239号線をはさんで向かい側の山へ向かい山裾に流れる小川沿いに進むとよい。近くに見事なカツラがあるので迷うことは無いと思うが・・・片道30分ほどの道程です。

□ 下川町のアイヌ語地名
□ 矢文川

上名寄で名寄川に注ぐ名寄川の市理由 矢文貯水池が有る 水源は矢文山

□ パンケ

アイヌ語の「パンケ・ヌカナン(下・川)」より名付けられました。すなわち、パンケ川が南流して名寄川に合流する辺りの地名を指したものです。

□ 奴可難山

パンケ・ヌカナンの由来 風連と下川の起用会にある784メートルの山名

□ 班渓

□ ユニナイ由仁内

三の橋

□ ポンモサンル川 糸毛の滝

二の橋  左岸

□ モサンル川

□ ウシネビラ

右岸

□ シカリベツ川 然別橋

一の橋 左岸

□ アトウシナイ川

一の橋 左岸

□ イサッテウシュナイ沢

右岸

□ オシュンクシュナイ沢

右岸

□ ポロナイポロ川

□ エクヤシンサワ川

□ ポンポロカヨナイ沢川

□ エペウシュペ沢

□ コルシナイ沢川

□ ヤムワッカナ沢

□ ウヤムナイ沢川

□ 幌加名寄沢川

□ サンル川

□ ポンホロナイ越沢

□ 御車ミグルマ


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