知床羅臼町の地名を巡る旅

半島先端部から羅臼までの地名

□ 知床岬

 松浦氏初航蝦夷日誌で『エシヨ。イソヤとも云り此処を則シレトコと云なり。この岬の上に標柱を建たり。是より北西場所舎利(斜里)領、南根室としるしたり』この辺までは当時のシレトコで、東西蝦夷地の境界とされていた。今は羅臼町と斜里町の境界になっている。標柱は今は壊れているとのことだが、見えない境界線は健在ですね。戊午知床日誌ではシレトコについて『シラライトコの詰まりで、大岩けわしい所の端という意味である』と記す。現在は船舶での立ち入り禁止。

□ 赤岩 アカイワ川

 本来はキナウシと呼ばれた所のようです。キナは草、ウシは群生すると言うことで草原状になっていたのでしょう。前は広い平磯、後ろは屏風の様な大岩壁で小さな入江を作っている。赤い大岩が二つありその内の一つは空洞になっていてくぐり抜ける事が出来るようだ。此処の赤岩を指して云うアイヌ語名は今のところ何というのか分かりませんが。

□ 念仏岩

 昔、羅臼のアイヌの娘が、夜夢に見た青年に恋慕い悩み続け、そして娘はこの半島を南に進むにつれて広大な原野があり、青年はその原野の端で、娘を待っているものと信じた。悩み疲れた娘は、この思いを母に打ち明けた。母は娘の希望を聞き入れ二人で密かに南に向かって歩きはじめた。まもなく通りかかったのがこの岩。母はこの岩は念仏を唱えながら越せばなんとか越せると聞いていたので娘に念仏の仕方を教え、岩を登らせた。数十分もかかって、ようやく娘は、岩の頂上に達し、振り返って別れの瞳を母に向けた。見下ろす娘の瞳にも、見上げる母の瞳にも朝の白露のごとき涙が光っていた。以降、この岩を念仏岩というようになった。と伝承の内容はかなり省略してありますが、松浦氏や永田地名解にはない地名、後世の創作なのかもしれませんが今のところ何とも・・

□ メオトタップ川 □ メオトタキ川

 女滝と男滝のある所だが戊午知床日誌では『ニカルウシ(メオトタキ川)此処は屏風のような大岩に、白布を晒したような大滝が二すじ懸かっている。ニカルウシとは木を取るに多しという意味である』と木材を採った所なのかも。滝は女滝の事、高さはおよそ120メートル前後で二筋に分かれて落ちる見事な滝です。釣りのシーズンは瀬渡しで釣り人が訪れますが、それ以外は殆ど人の姿を見ることはありません。

□ 滝川 滝の下

 松浦氏の蝦夷日誌に『クチャコルシ小さな谷川あり、この辺り岩山でけわしい難所である』とそれらしき名前が載っている。谷の中に滝が懸かり岩雪崩の後のように岩が累々と転がっている。今はその光景からクズレの滝と呼ばれています。知床ではあまり見られない光景かもしれません。

□ ペキンノ鼻 □ ペキン川

 永田地名解では『ペレケ・ノッ破岬』、松浦日誌では明るい岬となっているが、今とはどちらなのか判断は難しい。岬を回って少し行くとペキンノ鼻がある。ペキンノ鼻は小さな草原の岬で『ペケレ・ノッ、明るい=木が生えていない・岬』と考えられています。鼻はアイヌ語で『エトゥ』etu(鼻)を岬の意味で用いるが日本語にも岬を鼻ということがあるが、ペキンノ鼻の『鼻』は「『エトゥ』を意訳したものである。

□ メガネ岩

 永田地名解にも松浦日誌の中にも該当するような地名は見あたらず。普通は空洞が一つならば窓岩、空洞が二つならメガネ岩ということが多いようですね。斜里側の方にも同じように空洞を持つ伝説の岩がありますが。

□ モイレウシ川

 永田地名解ではモイレ・ウシ静彎、『ピリカトマリ』と同ジと書いているが良い停泊地として利用されたので有ろう。今は磯渡しで釣りに訪れる人はいるがそれ以外は静かな入江です。戊午知床日誌ではモエレウシ『モエレは遅い、または休むという意味である』と記し根室アイヌが何時も宿泊に利用していた入江だつた様です。今は此処をモイルスと呼んでいる。カヌーなどては上陸する人も多いという。

□ タケノコ岩

 メガネ岩と同様、永田地名解にも松浦日誌の中にも該当するような地名は見あたらず。岩の形からタケノコ岩と呼ばれているようです。かなりの高さがあり遠くからもよく目立つ岩です。まず見落とすような事は無いでしようね。

□ 化石浜

 戊午知床日誌ではヲケタウシ『むかし厚岸のアイノが塔印(墓標)の木をもって魚を焼いていたところ、そこの岩がはね飛び、驚いて後ろに倒れ両足を投げ出したので名付けられたそうである。ヲケタは足を出すと云うことである』と。なぜ化石浜と呼ばれるのか、千島火山帯の半島知床には珍しく此処では化石が見つかると云います。詳しいことは判りませんが知床は火山だけでは無いと云うことですね。

□ ウナキベツ川

 斜里側に海別川というのが有るがそれと同じような意味か?海別川を永田地名解では“灰川・古く噴火せしとき全川灰を以埋めたりしが今灰はなし”と ウナは火山灰のことです。ただ戊午知床日誌では『ウエナキ本名ヌエナキという・・・・昔厚岸のアイノがここで櫂を漕いでいる時に尻餅をついたのでこの名があると』ウナキはウエナキの短縮なのか?いまいちスッキリしないが・・・火山灰なら知床らしいが・・・

□ 観音岩

 昔、知床半島の岬に接続する三里の海岸に唐の高僧が漂着し、アイヌの長の宿に逗留することになる。高僧は仏法を日本に伝えようと渡航したが、大和の国に渡れず、また唐渡の故郷にも帰れず、虚しく日々を送っていた。長の家には幸か不幸か、美しい娘がいて、何時しか僧と娘は思慕の念を抱き合う仲になったが、彼は出家僧である。沸き上がる煩悩を押さえるべく、僧は観世音菩薩の像を刻み続けた。その菩薩像は、長年の風雪にあらわれて今の観世音岩となったというが、戊午知床日誌ではただの大崖としか書かれていない。観音岩の岬側には何体もの観音像が祭られていて、この地の暮らしてきた人々にとっては信仰の象徴なのでしょう。

□ 崩浜 クズレ クズレハマ クズレハマ川

 元々はリウエンシリ、いつの間にか川の名前がオンネカモイヲ、ベツと呼ばれる用になったようです。リは高いウエンシリは悪しき山と云う意味で両岸が30メートルもあろうかと云うところに小川がある。悪しきの意味は陸路を伝ってきた人はこの先の岬(観音岩)で行き止まりとなる事によると思われる。クズレの名前は崖の崩壊で石が崩れることから、昆布漁に出漁していた人達によって『くずれ』と呼ばれるようになったということです。普通に歩いていける知床最奥の川です。

□ カモイウンベ川

 永田地名解で言うところのカムイ・オ・ペツの事か?熊の居るところというが食べ物と姿を隠せるものが有り飲み水の有るところにはヒグマが居着いていることが多い。元々はオンネカモイヲ、ベツという名前だったようです。山岳渓流がそのまま根室海峡に注いでいる感じですね。上流には滝があり、釣りはそこまでになる、熊には名前通にご注意を・・

□ 相泊 アイドマリ アイドマリ川

 アイトマリ“ay-tomari”アイヌ語ではなく和語、明治時代小廻船が北見にまわる時の船掛かりとしてアイドマリを利用したアイは小廻船の船頭の風向語ヤマセ、マクダリ、アイ、の風のアイ。しけの時小廻船はアイドマリに避難した。アイドマリ川がカムイ・オ・ペツで泊地の名前がアイトマリという事の様ですがアイトマリは比較的遅くに付けられた様に思われます。戊午知床日誌ではカムイヲベツ、キムンカムイとも呼んだ。この『川筋に熊が多いので名付けているという』とある。

□ 瀬石 セセキ セセキ温泉

 セセクは熱いという意味で、セセキは温泉の事だが日本語がルーツだと云うことだ。瀬石温泉は海中に温泉が噴出していて、干潮時に野天温泉として利用されています。道路上から全てが見えるため、温泉を楽しむにはそれなりの覚悟もいる。女性は水着が無ければ勧められない。

□ 瀬石の滝 セセキノタキ

 永田地名解ではチャラセナイ小滝とある。チャラセは『滑り落ちる』の意味。通称セセキの滝といわれ、道路のそばに約20mぐらいの高さでおちています。水量の多い春先は路上か滝しぶきで濡れています。この滝は殆ど周年気軽に見ることが出来ます。近くの海に瀬石温泉が有る。

□ チトカンベ岩

 同じ地名が各地に残ってますが、意味は“われら−射る−崖”セセキの滝のそばにある切り立った崖のようです。「古くアイヌは狩りや漁や戦いに出るとき、弓占いを行った。このような地名の所に、古く集落の祭場があったかのか、いつからこの地名があるのか詳しいことはわかりません。

□ トッカリムイ □ トツカリムイ岳

 トッカリと言う地名は他にも有るかアザラシの事でオホーツク海岸では今も昔の若者には通用する言葉だ。アイヌ語でアザラシをトゥカラと言うか和人は訛ってトッカリと呼んだし今もトッカリと言う方もいますね。永田地名解ではトカラ・モイ海豹彎アザラシのいる湾の意味で当時は此所でアザラシを捕っていたという。地名が移動していますが、今のオショロコツ川付近の彎の事です。今は此処を昆布彎という。

□ オショロコツ川

 瀬石の滝のすぐ南にある川の名前ですが、本来はもう一本南の川が本来のオショロコツ川で、今オショロコツといっている川は昔のトカラモイ川ということです。永田地名解ではオショロ・コツ磯ノ凹ミタル處と、此所には義経伝説が残されているが其の内容を知床日誌では『往古義経卿此所に鯨流寄りしを切て蓮の櫛に刺て焼き居られし時、其串折れて火に倒しや、公驚き尻餅突き給ひしという故事』と書れている。此は文化神サマイクルを義経に置き換えたものと考えられている。窪みは尻餅をついた跡と云うことになるが、普通オショロコツは海岸段丘の窪みを云うことが多い。似た名前は各地にある。

□ 熊岩

 熊が立ち上がったように見えるので地元の人たちがいつ日かこう呼ぶようになりました。セセキ温泉への途中にあります。海から見ても目立つと云うことです。見方を変えると熊というよりは招きネコの様にみえてしまいますが。

□ ルサ川 □ 知床橋

 永田地名解では阪『ルサニ』ノ短縮語両岸ノ『ルサ』ト往来スル阪ナリとある。道が-そこで-浜の方へ出る(下る)-坂。斜里にもルシャという川があり、区別するために羅臼側の川をルサ川と呼ぶことにした様です。ルシャシとルサを結ぶ路は知床半島を横断するのに標高が低く短い距離で、この道は斜里側と往来によく使われたのでしょう。羅臼のルサ川と斜里のルシャ川を結ぶ線は風の通り道にもなっている。

□ キキリベツ川 岩見橋

 永田地名解では「キキロ・ベツ虫多キ川・・蚊虻多シ」と虫-群生する-川海岸から50mくらいのところに、10mくらいの滝があり、そこから川が曲がって奥が良く見えません。虫とは、ぬか蚊とかあぶなどをさすのでしょう。

□ ショウジ川

 永田地名解でチェプ・サク・ナイ魚無シ川・小川 と有るが最近は小さな川は海岸から護岸等でほんとに魚無しの川に。戊午知床日誌ではクアマベツ『両岸けわしい山の間の川なり。この川筋にアマホウ(仕掛け弓)を多く仕掛けるので名ずく』という。魚無川の理由だが此川には滝があり鱒の遡上が難しい事によるためか・魚無しと言っても岩魚はいるが

□ 建根別 ケンネベツ川

 ケネペツはハンノキ、川と考えられている。ナラや白樺の巨木は生えているがハンノキは目立ちません。ハンノキは湿原に多い木でケンネなら意味が違ってくるが?。戊午知床日誌では「チエッフシャクベツ大岩が連なっており、川筋に魚がいないので名付けていると」確かに大岩が多い川で、渓相は抜群だが生息するには厳しいのか魚は少ない。

□ 知円別 チエンベツ川

 永田地名解でチェプ・ウン・ナイ魚居ル川となっている。此所で漁をしたのでしょう。チェプ・サク・ペッだと魚の入らない(いない)川となり精進川と呼ばれていることもある。鮭と鱒が入らないが、イワナなどの渓流魚は棲息している事が多い、岩魚は魚としての価値はなかったのでしょうね。

□ モセカルベツ川 茂瀬刈橋

 モセ・カル・ベツでオオバイラクサを取る川だったのだろうと思うが、それほどの量が有るとは思えない小さな川です。ただ草苅リをすることを云うことも有るようです。羅臼側の川では渓相の素晴らしい川の一つで滝の数も多い。

□ 天狗岩 オッカバケ (オチカパケ)川 遡北橋

 オチカバケ川の川口に、浜より海に突出した岩を天狗岩と云い、岬の方からみると天狗に見えると言います。永田地名解では『オチカパケ南風ヲ防グ岩』と、松前の方言を例に解説しているがこの地では疑問。半島の反対側にも同名の地名が有りそちらは鷹の巣、チカパケはチカプエワケの短縮語とし鳥住む処としているが、羅臼側の方が鷲や鷹の姿を見ることは多い事からこちらの方が何となくスッキリする。

□ サシルイ川 刺類橋 サシルイ岬 サシルイ沼

 永田地名解ではシャシ・ルイ昆布多キ處とありこの辺は昆布が多い所だったのでしょう。砥石が有ると言う説は戊午知床日誌にあり「川口の前に大岩が一本立ち其の風景が面白い。その川上に並の砥石より良い砥石ありそれで小刀を研ぐゆえになずいたと。刺類川も滝の多い川です。

□ 飛仁帯 トビニタイ

 トベニでイタヤ楓の事。昔はイタヤカエデが多いところだったのだろう。永田地名解にはない地名ですが、知床日誌には「ホロトメニウシ本名ホロトベニウシという。ポロは大、トベニは楓のこと、この川すじに多いので名付けている」とある。近くにホントベニウシという地名があったというが。

□シュマチセ 飛仁帯洞穴?

 石の家、岩窟、岩屋等の意味ですが、チカップコイキウシ〜ハシコイ間に洞穴はなく、何処をシュマチセと呼んでいたのか特定出来ていない。海上から見ると、飛仁帯洞穴が家のようにみえると言うことだ。知床日誌に『ここを(チカップコイキウシ)まわればサシルイの岬が見え、その間は一つの小彎になっている。廻った所に大石窟が三つある』と有りますこれも正確な場所は不明。飛仁帯洞穴からは、擦文やオホ−ツク文化の遺物が多数出土しています。

□ ハシコイ川

 永田地名解では『アシュ・コイ立浪ハシコイト言フハ非ナリ』と有るが波が立っているか渦を巻いているかの違いで通行の難所だったのかもしれない。知床日誌には『ハシコエこのあたりの海岸から波が荒くなり岸を通ることは出来ない』と書き、戊午知床日誌では『少しの岩浜に小川一すじ。この川すじに、枝がさまざまに曲がった樹が多くあるのでなずいているという』時とともに意味も変わることもあるようだ。

□材木岩 チカップコイキウシ

 隋道のそばの海岸にある柱状節理の断崖で羅臼では珍しいが此所が戊午知床日誌では『チカフコエキウシ大岩が積み重なって数十丈の岬となり、その前に一つの岩がつきだしている。このあたり多くが柱石である。その岬には陸行出来ないので色々な鳥が多く集まり、岩は鳥の糞で白くなっている。チカプは鳥、エコキは取ることを言い、鳥を捕るのに好いところである。』と記されていますが何を捕っていたんでしょうかね。柱状節理の岩を材木岩というのも面白いが・・

□ 立岩 ロ−ソク岩 (リィシュマ)

 アイヌ語でリィシュマ『高い岩』の意味ですが地図には立岩と書かれていて今は立岩と呼ぶ人が多い様だ。チカップコイキウシのそばの海中にあります。知床日誌にはただチカップコイキウシの前にある『一つの岩』とだけ。

□ カイズ岩

 戊午知床日誌では『チカフコエキウシ大岩が積み重なって数十丈の岬となり、その前に一つの岩がつきだしている。このあたり多くが柱石である。その岬には陸行出来ないので色々な鳥が集まる』と。此処で云う大岩がカイズ岩の事。この文からはカイス岩は岬の一部のようにとれるが・・

□ ひかりごけ生息地 マッカウス

 永田地名解では蕗臺多キ處と『蕗が多いところ』の説がありますが、ここだけが特に蕗が多いわけではありません。アイヌ語から解釈すると、山手を-まわる-ことをいつもする-ところ、となり、この付近では、こういう通行をしなければならなかったと云うことで、通行を妨げる岩や岩山や通ることが出来ないような深間が海岸にあったのでしょう。この洞穴は昔から人に利用されたらしく、続縄文、縄文、オホ-ツク土器の破片が採集されています。羅臼の名所の一つになっています。

□ チトライ川

 永田地名解では案内處『岩ノ間ヲクルクル如ニテ案内ナケレバ行クコトタカシ』とありかなりの難所だったのでしょう。我々が同伴するところの意味、確かに此処は羅臼方面から来ると陸路では最初の行き止まりで説得力はあるが別な説もある。戊午知床日誌では『わずかばかりの川という意味である』とししてチトライ川に触れている『川口より三、四丁ほどのぼると、左右とも小川多く、何れも大岩が簇々して滝をなして落ちていて・・』とあり、川がすぐ無くなってしまう事を名前の意味としてあげている。海岸より少し上流の左岸に細長い小さな滝あり。


永田地名解とあるのは北海道蝦夷語地名解よりの引用です。アイヌ語入門と地名アイヌ語小辞典と合わせて見てください


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